【兄と僕】僕が走り続ける理由

僕が走り続ける理由

みなさん、こんにちは!

第二弾は【私が走り続ける理由】についてお話ししたいと思います。

この題名だけで長くなる予感がしますが…笑

結論からいうと走るの嫌いなんです!笑

祖父と父に認められたい。始まりはそんな気持ちでした。頑張れば頑張った分だけタイムとして表れる長距離だからこそ続けられています。

面白く書けるよう頑張りますので最後までお付き合いください!笑

祖父からの駅伝一家

父側の祖父が長距離をしていたことから、私の父をはじめ叔父、叔母、兄、いとこの3人全員が長距離をしています。

私やいとこが住んでいた市には陸上部のある中学校が1つも無かったため、中学校までは全員別な部活に所属しながら個人で練習して大会に出場していました。

お正月には祖父の家でニューイヤー駅伝や箱根駅伝を見たり、父が県下一周駅伝のコーチをしていたことから物心つく頃には陸上が身近な存在になっていました。

勝つことが楽しかった小学校時代

小さな小学校だったこともあり、運動会のかけっこや持久走大会ではいつも1番でした。

極度の負けず嫌いで、遊びやゲームも勝てるまでやり続けるような性格。走ることが好きというよりも『勝てる』から好きという感じですね!笑

実際に市の陸上教室なども父に嫌々連れて行かされていました。

『僕は速いんだ』

市の陸上記録会でも優勝し、小学生の頃の私はまさに井の中の蛙で慢心しきっていました。

種目も100mと1000mに出場していたのでいかに走ることに自信があったかわかりますね笑

初めて挫折した中学校時代

小・中と野球をしたのですが、中学に上がってすぐに地区の陸上大会がありました。5位以内に入れば県大会へ進むことができます。

1つ上の兄が県大会にいっていることもあり、楽勝だろと思っていました。

私がこう思うのも無理なく、小学生までは一緒に走っても私の方が速かったんです。

小学5年生のときに出場したジョギング・マラソン大会でも6年生の兄に先着しましたし、小学6年生のときの行内持久走マラソンでは兄のタイムより1分ほど速かったです。

そんな兄は中1の頃、地区大会を4位で突破しそのまま県大会も4位でした!正月に行われた県の長距離記録会では2000m6分10秒くらいで優勝もしています。

このときはすごさが全くわかりませんでしたね笑。タイムが何秒から速いのかわかりませんし、『お兄ちゃんにできるなら僕もできる。』本当にそう思っていました。

そんなとき、地区大会が近くなっても練習しない僕に父がしびれを切らし、かみなりを落としました。

「練習もしないで県大会にいけるのか。そんな甘い考えでもし県大会にいけなかったら陸上やめろ」

怖くて気分が悪くなり、立つことができなくなったのを今でも覚えています。

すぐにランシューじゃなくジャガーシグマを履いて外に飛び出しました。泣きじゃくりながら全力でダッシュしました。

「ランシューを履け。故障したらどうするんだ」

兄がすぐに走って追いかけてきました。

熱くなったのもこのときだけでその後も大して練習せず地区大会を迎えました。

コールのときには緊張で吐き気がすごかったです。

結果は6位

あと一歩のところで県大会にいくことができませんでした。父には5分(1500m)を切れば県大会に行けると言われていましたが、5分8秒で去年の兄より20秒ほど遅かったです。

このとき初めて兄は自分が思っているよりずっとすごい選手なんだと実感しました。兄は2年、3年と県大会へ進み表彰台にのぼりました。

中学1年のとき身長が140cmくらいしかなく、短距離走も同級生に勝てなくなっていきました。

『大きい人には勝てないや』

そう自分をなだめて走ることがだんだん嫌いになりました。

大会や記録会に出ても毎回先頭争いをする兄と最終組にも入れない自分。

記録が悪いと怒られる兄と「お前はそんなもんだろう」と怒られもせず諦められている自分。

小学生のときはよく褒められた自分と平凡な兄は、全く逆の立場になってしまいました。

そして努力で強くなった兄に対して自分の力を過信し、弱くなった僕は「お前はお兄ちゃんと違って努力ができんからダメなんだ」そう言われるようになりました。

大会でも自分が走るより、兄のレースを応援する方が好きにになりました。表彰台にあがる兄はキラキラしてすごくカッコよかった。

陸上の結果で優劣が決まる家系が嫌になり、中学3年間目立った記録を残せず「高校で陸上はしない」としきりに言っていましたね笑。

 

でも、どこか『兄のようになりたい』。そう思う自分がいたんです。

僕より遅かった兄を知っているからこそ、県のトップで戦う兄のようになりたかった。頑張ればなれると思った。

そして高校で長距離をすることを決意しました。

走ることが好きだからではありません。

『自分も頑張ればできることを証明したい』『祖父や父を見返してやる』

そんな気持ちでした。

嘘のように生まれ変わった高校時代

「あいつは真面目で努力家だ」

高校以降、私のことを知った人は間違いなくこう言うと思います。(たぶん。笑)

『結果を残したい』その気持ちだけで陸上に没頭しました。

中学生までの自分はお世辞でも真面目で努力家とは言えません。(最大で4kmしかjogしたことがありません)それが、自分でも自信を持って頑張った。そう思えるようになりました。

でも、すぐに結果が出る訳もなく、寮生活で日頃の行動を見てない祖父や父は「努力が足りん」

そればっかりでした。

 

それが悔しくて悔しくて、無理して故障して。その繰り返しでした。

どうしたら祖父や父が認めてくれるのだろうと思ったときに兄に勝つことだと思いました。

長距離の強さの基準としてある5000m14分台。

それを目指して頑張りましたが、むなしくも高校ベストは15分20秒で終わってしまいました。高1の兄にさえ届かなかった。(15分03秒)

関東への進学は諦めましたが、『続けていればどこかで花が咲くかもしれない』

そんな想いで今も走っています。伸びないかもしれないんですけどね笑

色んな人に出逢った大学時代

高校時代の記事を読んでもらえればわかるのですが、十分やり切った!自分の限界だと思いました。

地元のごく普通な国立大のためスポーツ推薦で入ってくる人はゼロです。部活も高校時代の方が強く、練習も物足りないように感じました。何より、駅伝とか目標に向かってみんなで頑張るような刺激的な熱さが全くありませんでした。

当時の私は少しショックでしたが、関東の大学とは違い陸上をするために入学してきた人ではないんだと割り切ることにしました。

私が所属している学科は留年率が高く、部活をしている人も少ないのですが工業高校出身ということもあり、部活なんかしてると留年するぞとよく学科の友達にはからかわれたもんです笑

でも、勉強を教えてもらわないとついていけないのも事実だったのできつくても気丈に振る舞いました。

それでも陸上を辞めず続けてこれたのは『兄に勝ちたい』『強くなって認められたい』という想いです。

大学1年の頃はベスト更新することができなかったのですが、2年のときは5000mのタイムが40秒も伸び、兄のベストの約3秒差までくることができました。

大学での出逢いは私のターニングポイントでもあったのでまた別な記事で書こうかなと思います。

最後に

兄は昨年、最初で最後の箱根駅伝を走りました。すごくかっこよかった。関東に進学しなかった私には絶対に越えられない壁ができました。

それでもまだ走り続けます。

もう昔ほど祖父や父を見返してやるという気持ちはありませんが、今は『自分もやればできる』と思うことができます。自分が自分に期待できます。

兄はよく「自分が1番自分を信じないで誰が信じてやれるのよ」と言います。

まさにその通りだなと。

私が私に期待して信じれるうちは走り続けます。

少しでも兄に追いつけるように、そして追い越せるように。

長距離はどこで伸びるかわからないスポーツだとつくづく思います。高校時代どんなに遅くても社会人になってから伸びる人もたくさんいます。続けてさえいればチャンスはあります。

今苦しい人も私の記事が少しでも心の救いになればいいなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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この記事を書いた人

地方大学で日々奮闘している現役ランナーです。
自分に限界を感じ関東進学を諦め、地元の国立大学へ進学。指導者がいない中、様々な人に伺い強くなるために模索。
理論だけではない、リアルな声を届けたいと思い、ブログを開設しました!伸び悩んでも陸上だけは真摯に向き合ってきたので、本質を伝えられるように頑張ります。
このサイトとともに成長出来たらなと思っているので感想や質問、提案などあれば遠慮なくご連絡ください!

自己ベスト
5000m:14'38
10000m:30'25

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